アジア太平洋こども会議・イン福岡

大連市政府より

2012 年1 月1 日
大连市人民对外友好协会会长
李 永 金

 

新たな一年を迎えるにあたり、私は大連市人民対外友好協会を代表いたしまし て、また私個人の名におきまして、福岡・大連未来委員会の皆様に新年のご挨拶 を申し上げますとともに、皆様のすばらしい年をご祈念いたします。 同時に過去一年、中日友好、福岡と大連市の友好交流事業にご尽力された方々 に衷心より感謝の意を申し上げます。

昨年は東日本大震災の発生により、日本の皆様にとっては苦難の多い一年と なったことと、私たちもその悲しみを痛感しております。 地震が発生した直後、大連市人民対外友好協会(大連・福岡未来委員会事務局) をはじめとする大連市の民間対日友好組織が、いろんな形で募金活動をはじめ、 また日本在瀋陽総領事館大連出張所に伺い、お見舞いの意を表しました。日本 の皆様はきっとこの難関を乗り越えられ、復旧復興に向けてがんばっていただけ ると信じております。

大連と福岡の二都市では、未来委員会の設置で、補完しあい、信頼関係を深め、 両都市間の交流と連携に絶好なプラットホームを提供しました。昨年、大連市の 小学生たちは恒例の福岡でのアジア太平洋こども会議に参加し、また福岡の大 学生の代表団も大連での国際青少年アートフェスティバルに参加し、すばらしい ショーを見せてくれました。 2012年は日中国交正常化40周年に当たりますので、これを契機に双方交流委員 会はより一層着実に積極的に活動し、青少年交流だけではなく、経済、教育、観光 など各分野に連携を強化させ、両都市の繁栄と発展に力を尽くしましょう。 最後に皆様方のご健康とご健勝を祈り、福岡市民の各家庭のご多幸を祈念します。

在新年到来之际,我谨代表大连市人民对外友好协会并以我个 人的名义,向福冈·大连未来委员会的各位朋友致以诚挚的问 候和新年的祝福。同时对过去一年来为中日友好、为福冈同大 连市之间的友好交流事业做出的努力表示由衷的感谢! 去年,日本发生了“3·11”大地震,给日本人民带来了巨大的 损失和痛苦,我们感同身受。地震发生后,以大连市人民对外 友好协会(大连·福冈未来委员会事务局)为首的大连各对日 友好团体立即开展了各种形式的募捐活动,并派代表前去日领 馆驻大连办事处表示了深切的慰问,送去善款。我们相信,日 本人民一定能够渡过难关,重建家园。 大连和福冈两个城市之间,因为未来委员会的建立,互通有无, 增强信赖,为两个城市之间的交流与合作提供了一个绝好的平 台。去年大连儿童如期参加了福冈亚太国际儿童会议,大连国 际青少年艺术节的举办,也迎来了福冈的大学生代表团,他们 的才艺展示为艺术节增添了光彩。 2012年,是中日邦交正常化40周年,希望双方交流委员会更加 务实更加积极地去推进每一项工作,不仅在青少年交流领域, 也在经济、教育、旅游等各个领域加强联系与合作,为两个城 市的发展不断地贡献力量。 最后,祝各位身体健康!事业兴隆!祝福冈人民幸福安康!

大連市について

大連市(だいれんし)は中華人民共和国遼寧省の南部に位置する地級市(地区クラスの市)。経済的重要性から省クラスの自主権をもつ副省級市にも指定されている。 市区人口は211万、都市圏人口は350万人に及び、遼寧省では省都の瀋陽市に次ぐ大都市である。

▲中山広場
▲中山広場

歴史

の時代には三山と呼ばれ、代には三山浦、時代には三山海口、青泥洼口と称した。1880年代に清朝が大連湾北岸に砲台を築き、ようやく都市が形成され始めた。日清戦争後の1898年三国干渉の代償として、清から関東州(大連、旅順など)を租借したロシアが、東清鉄道の終着駅を設け「ダーリニー」(Дальний; 「遠い」)と名づけた。旅順にある艦隊と要塞の物資をまとめるため、また貿易の拠点として、港の整備とパリをモデルにした都市づくりが始まった。

しかし、1904年に勃発した日露戦争により、同年5月末には日本軍が無血入城を果たし、戦後の1905年ポーツマス条約により日本に租借権が譲渡された。日本は古地図に見られる中国語の地名「大連湾」からとった「大連」を都市名として採用した。これはロシア名のダーリニーと発音が似ていることにもよる。

ロシアの租借地時代は、現在の大連駅から東側の区割りとごく一部の建築物ができた状態であった。日本は、大連を貿易都市として発展させるため、関東都督府と南満州鉄道にインフラの整備を続行させた。その結果、道路のアスファルト舗装や、レンガなど不燃建築物が立ち並ぶ町並みができあがった。昭和初期には現在の大連駅とその駅前一帯が整備され、旧市街がほぼ現在の形になる。この時代の大連に関しては清岡卓行の『アカシヤの大連』をはじめとする一連の作品群、鮎川哲也の「ペトロフ事件」などにおいて描かれていることでも有名である。

第2次世界大戦末期の1945年、日ソ中立条約破棄によりソ連赤軍が対日参戦。このときにソ連は大連を占拠した。同年9月に戦争終結後も、中ソ友好同盟条約に基づきソ連は大連港を旅順港や南満州鉄道と共に引き続き管理下においた。中華人民共和国に返還されるのは1951年のことである。もっとも、このために、国共内戦では 国民党側の支配下に入ることはなく、終始共産党側にあった。

1951年旅順市を合併し、旅大と改称したが、1981年に元の大連に名前を戻している。 1990年代の改革開放経済のもと、中国東北部の中でも特に目覚しい経済的発展を遂げている。

 

▲中国地図
▲中国地図